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さて、インドの市場の雰囲気も味わったところで、私たちは駅に向かった。
列車が三時間遅れていることが功を奏してというべきか、コルカタに滞在できる時間も増えたため、道中マザーテレサハウスに寄ることができた。また、ヴィクトリア・メモリアルも見ようと試みたが、残念ながらこちらは開館時間を過ぎると門が閉まっており、この門から美術館までの距離が遠く、その壮大さをよく見ることができなかった。

それでも熱心に写真を取っているインド人観光客も多く、彼らにとっても重要な建造物である事は感じることができた。そこから私たちはハウラ・レイルウェイ・ステーションまで歩いて約一時間半の道のりを歩くことにした。
これが想像したよりも大変であった。朝、ホテルを出てからほとんど休んでおらず、大きなザックを持ってあろうことかクロックスのようなサンダルで来てしまった私(インドは暑いと思っていた)は、広大で、歩けども歩けどもほとんど景色の変わらないヴィクトリア公園に音を上げそうになっていた。

途中で可愛らしいワンコに癒されながら、ようやくヴィクトリア公園を抜けると、ローカル線の駅に辿り着いた。

駅には現地人たちが電車を待っている様子で、ハウラ・レイルウェイ・ステーションまでの行き方を尋ねると、おせっかいなほど熱心に、次に来る電車に乗れと教えてくれた。
しばらく待っていると、ローカル線の電車が到着し、私たちは安堵の色を浮かべながら乗り込んだ。

私たちが電車に乗り込んだのはEden Gardensという駅であったが、そこから一駅先のB.B.D. バッグという駅に着くと、周りのインド人たちからここで降りろと知らさせた。日本の感覚で行くと、夜行列車が出発するような大きな駅なのだから、ローカル線がそこまで行くだろうという、何とも浅はかな考えではあったが、どうやらこの電車では直接ハウラ・レイルウェイ・ステーションには行けないらしい。
大変がっかりではあったが、仕方ない。私たちはヴィクトリア公園がある地域から大きな川を挟んでハウラ・レイルウェイ・ステーションのある対岸までを結ぶハウラ・ブリッジを歩いて渡ることにした。

橋に近づくまでの道には、ビニールシートで作られた路上生活者と思われる人々の手作りの家が並んでいた。また、水道管が壊れているのだろうか、止めどなく水が流れ続ける配管のような物が地上に出ている光景も目にした。その重々しい雰囲気とインフラの整備状況で、そこに住んでいる人たちの生活状況が浮かんでくるようだった。

私はこの時、インドのたった一部の地域しか見ていなかったが、賑やかで楽しげな活気に溢れた面と、一方で静かで悲壮感の漂う面を見た気がしていたが、それはまだまだ序章に過ぎなかった。

(つづく)

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